不便のススメ ……

1988年頃のお話。

イギリスのファッション誌「 i – D 」が、東京のストリート ショットをメインとした“東京特集”を企画しました。当時、私が御世話になっていた某 有名写真家さんから、光栄にもヘアメイクとしてのオファーを戴いたのですが……………

残念ながら、本国編集部と日本側スタッフの間で“バジェット(撮影総予算)”が折り合わず、結局のところ企画自体が消滅してしまいました。

ちょうど欧米の“ジャパン ブーム”が一段落して、色々な意味で“日本の真価”が問われていた時代でしたから、もしもファッションを通して“本当の日本”を打ち出す事が出来たのならば、ソノ後の数年間は“欧米から見たジャパン”が違っていたのでは?と考えると、今でもヒジョーに残念でなりません。

ところで「 i – D 」は、「 UK VOGUE 」の若手アート ディレクターだった テリー ジョーンズ ( Terry Jones ) さんが、1980年に創刊したファッション誌であります(有名ファッション誌の中では後発)。どちらかと云えば、ファッション(モード)よりも“カルチャー”にフォーカスした“最先端情報誌”的要素が強く、明らかに「 VOGUE 」「 ELLE 」「 Marie Claire 」etc.とは異質な“先進性”をウリとしております(カヴァーショットではモデルがいつもウインク)。

実はそんな「 i-D 」さんが、2017年に“次世代注目フォトグラファー”として紹介していた方々の“ある共通点”が、2年後の現在“極めて身近な流行”に繋がっているので御座います……………

『 i-D Meets : Next Gen Photographers / 2017 』

“先進性の「 I-D 」”がチョイスしたフォトグラファーの特徴は、共に“フィルム カメラ”をメインとしている事であります!

当ブログ“登場回数No.1のフォトグラファー”ブルース ウェーバー先生は、未だに“フィルム カメラ”をメインに使用されておりますし、多くの映画は未だにフィルムで撮影されている現実。プロフェッショナルにとっては、“求める世界観”を具現化する為に“古い機材”を用いるのは良くあるお話。

ところが昨今、“フィルム時代”を全く知らない世代の間で、“フィルム カメラ”が密かなブーム。

例えば……………

❇️ 唐田えりかさん ( Erika Karata : 女優 , 千葉県出身 , 1997〜 ) の作品。

❇️ 芳根京子さん ( Kyoko Yoshine : 女優 , 東京都出身 , 1997〜 ) の作品。

上記のお二人は、我が国が世界に誇る“若手本格派女優”の代表格でもあり、ヨーロッパ人メル友にもケッコーな知名度を誇ります(因みに芳根京子さんは、北海道ローカルのドラマやCMに出演されているので、“北海道出身”だと思われがちですが“東京出身”で御座います)。

そんなお二人がハマっている“フィルム カメラ”という世界。

私も知人から度々「息子がフィルム カメラを欲しがっているので、オススメ機種を教えて欲しい。」と訊かれますが、何故今、“フィルム カメラ”は若い世代を魅了するのでしょーか?……………

美しい写真を“最も簡単に撮影するツール”は、間違いなくスマートフォンのカメラであります。にも拘らず、わざわざフィルム カメラで撮影するのは、謂わば“便利過ぎるツール”に対して、何かしらの不満を感じているからだと思われます。

つまり、フィルム カメラで撮影して、カメラ屋さんに現像依頼するのも、私の様にフルサイズ ミラーレス機にオールド レンズを装着するのも、敢えて“不便な思いをして趣味性を高める”、ある種の“サディスティック行為”なのかも知れません。

ソノ快感故に、“オールドレンズ沼”から抜け出せない変態オッサンでありますが、「 YASHIKA – CONTAX 」さんの“ZEISSレンズ”が欲しいなぁと……………

( 画像1、12、13は自身のInstagramより。画像2〜6、9はネットから拝借。画像7、8は唐田えりかさんのInstagram、画像10、11は芳根京子さんのInstagramから拝借。)

過ぎ行く「 平成 」……

天皇陛下の退位(本来ならば“譲位”と表現すべき)に伴う新元号「 令和 ( Reiwa ) 」が発表されました。

当ブログ運営中に“元号が変わる機会”は滅多に御座いませんので、本日は“「 平成 」30年間”を私なりに振り返ってみたいと思います……………

思い起こせば「 平成 」がスタートした1989年は、私が結婚した年でありました。( 因みに、結婚式を予約した某ホテルから事前に「万が一、結婚式直前に天皇陛下(昭和天皇)が崩御された場合は、お式の演出etc.に関して若干変更させて頂くかも知れません。」的な内容を、担当者の方から伝えられたのを覚えております。)

「 平成 」という元号は、“平和で優しさに満ちた時代”をイメージさせますが、今振り返ってみれば“個人的”にも、そして“国内的”にも、誠に残念ながら“災いに満ちた苦難の時代”だった様に感じます……………

❇️ ー 1995年 ( 平成7年 )「 阪神、淡路大震災 」発生 ー

大阪電通さんのお仕事が進行中でありました私は、打ち合わせ等で頻繁に大阪、神戸を訪れておりました。「 阪神、淡路大震災 」発生当日、大阪電通さんから「本日、予定通りPPM(最終段階の打ち合わせ)を行いますが、御存知の様に新幹線は使えませんので、飛行機でいらっしゃって下さい。」との連絡がありました。

大阪入りして、待ち合わせ場所だったホテル ラウンジに到着すると、天井は常に余震で揺れており、現れたプロデューサーさんが「実は未だ当社スタッフや、クライアントさんの安否確認が出来ない状態であります。誠に申し訳御座いませんが、本日のところは、このまま東京にお帰り頂けませんか?」との事……………

ホテル ラウンジのディスプレイに表示される“地震による犠牲者数”を見て、“現実とは信じ難い大惨事”の中、ただ呆然と立ち尽くすだけでありました。

❇️ ー 1996年 ( 平成8年 ) 「 NY エージェント廻り 」 ー

複数のエージェントさんから所属を打診されましたが、条件であった“当面の生活費として5万ドルを準備する”が果たせず、ニューヨークでの活動を断念。

❇️ ー 1997年 ( 平成9年 )「 離婚 」ー

❇️ ー 1998年 ( 平成10年 ) 「 破産 」ー

❇️ ー 1999年 ( 平成11年 ) 「 ヘアメイク廃業 」ー

❇️ ー 2009年 ( 平成21年 ) 「 母親他界 」ー

❇️ ー 2011年 ( 平成23年 ) 「 東日本大震災 」発生ー

“ヘアメイク破産廃業”後、アルバイトで生計を立てていた私は「 東日本大震災 」発生当日、大井埠頭の作業現場から品川駅迄、バスで“約2時間(通常は約20分)”掛かって到着した後、“約3時間”も歩いて桜新町のアパートに帰宅致しました。道中、様々な店舗のウインドーに“トイレ貸します”や、“道案内出来ます”との張り紙がありました。

道玄坂では“水商売らしきお姉さん達”が、「簡易トイレをお配りしています。数に限りが御座いますので、女性の方優先で御願い致します。」と声を限りに叫んでおり、三軒茶屋では“予約が取れない人気レストランの店員さん”が、「無料のコーヒーは如何ですか?先は長いのでココらで一息入れませんか?」とコーヒーを勧めてくれました……………

“東京って捨てたもんじゃない”と再確認した日。

❇️ ー 2013年 ( 平成25年 ) 「 父親介護 」開始 ー

❇️ ー 2014年 ( 平成26年 ) 「 父親他界 」ー

❇️ ー 2018年 ( 平成30年 ) 「 北海道胆振東部地震 」発生 ー

人生初の“41時間連続停電”を経験。

❇️ ところで……………

おそらく現在“独自の元号”を採用している国は、世界中でも我が国だけかと思われますが、21世紀の今日に於いては、西暦に統一した方が“あらゆる意味で合理的”なのは間違いありません。

政府関係者の方曰く「元号は天皇陛下の“おくり名”にもなるので不可欠な存在である。」との御見解でありますが、ソレならば天皇陛下が崩御された後、又は退位(譲位)された後の“お呼び名”として使用するべきだと考えます。


❇️ しかしながら……………

せめて「 令和 」という新時代が、“幸多く、災いが少ない時代”であります事を、心から願う変態オッサンでありました!

( 画像1〜5、7は自身のInstagramより。画像6はネットから拝借。)



クール ビューティーとマッスル ビューティー ……

ヘアメイク時代に各自動車メーカーさんCMを担当させて頂き、広報の方から貴重な情報をお聞きした際、特に印象的だったお話がありました。

「大型セダンよりもスポーツカーの方が企画、製作、製造に関してお金が掛かります。加えて、購入層が限定されるので売り上げは低い。つまり、FERRARIさんやLAMBORGHINIさんの様な“小規模専門メーカー”ではなくて、“大手大衆車メーカー”がスポーツカーを発売する事自体、実はビジネス上“非常にリスキーな行為”なんですよ。」……………

例えるならば「大型旅客機よりも戦闘機の方が企画、製作、製造が大変だから高価になってしまう。」原理に近いのだと思います。

故に、“グループ企業内で共同開発、並びに共通パーツを多く使用する事でコストを削減する”という方法が、世界中でポピュラーになりつつあります。

❇️ 記憶に新しいところでは「 Lamborghini Huracán ( ウラカン ) 」& 「 AUDI R8 V10 」……………

「 Lamborghini Huracán Performante ( 2017 ) 」

「 AUDI R8 V10 ( 2016 ) 」

お互いのメーカーさんが公表している情報は極めて限定的でありますので、詳細の程は明らかではありませんが、上記の2台は“パワートレイン、シャシーetc.”を共用しております(Lamborghiniさんが製作)。それぞれが“自社流”にアレンジしているとは云え、謂わばれっきとした“兄弟車種”であり、ドライブ フィーリングもさぞ近いのでは?と想像出来ます。

御存知の様に、LamborghiniさんとAUDIさんは共に“ Volkswagen グループ”に所属しておりますので、共同作業は比較的スムースに行われたと思われますが、資本無関係メーカーの場合は、あらゆる意味で困難が伴うに違いありません。

BMWさんとTOYOTAさんが「次期BMW Z4とTOYOTA SUPRAは、共通プラットフォームを使用した素晴らしいスポーツカーになる。」と発表して話題になったのは、確か2014年頃だったと記憶しております。但し、コンセプトは同様ながらも両社の間にはかなりの温度差があったらしく、ドイツ モータースポーツ関連誌には、幾度となく「BMWとTOYOTAによるプロジェクトが頓挫した。」的な記事が掲載されました……………

❇️ 昨年、BMWさんから「 新型Z4 」が正式発表された後も「やはり“兄弟車種”SUPRAは無しか?」と噂されておりましたが、先日やっと公の場に登場致しました。

誠に失礼ながら、「 先代プリウス 」あたりからTOYOTAさんのデザインは方向性が変わり、“攻め方が間違っているのでは?”と感じていた私は「 新型SUPRA 」が、“TOYOTAさんの原点に立ち戻ったデザインになる”と勝手に期待しておりましたので、こんな“超マッチョ「 新型SUPRA 」”には、正直なところ“違和感満載”で御座います……………

確かに「 SUPRA 」は、“抑揚のあるデザイン”が特徴でありましたが、2019年デザイン トレンド及びTOYOTAさんの“スポーツカー戦略”に当てはめた場合、いささか“視点がズレている”と思えて仕方ないのであります。

❇️ 因みに、兄貴分の「 BMW Z4 」は……………

“BMWさんとTOYOTAさんの違い”と言ってしまえば、確かにソノ通りでありますが、“一歩先のデザイン”を踏まえた上で、敢えて“半歩先のデザイン”を選択するデザイン ポリシーは、BMWさんを筆頭として“ドイツ勢”の方が進んでいると感じますし、ソレは“ジャーマン デザイン”に共通するセオリーなのかも知れません。

何れにしても、予価は「 新型SUPRA 」が“約500万円〜”、「 新型BMW Z4 」が“約600万円〜”と云われておりますので、そんなシロモノを気軽に購入可能なのは、当サイト プロデューサーの“秀津風親方さん”位であり、私には全く無縁の物体で御座いますが……………

❇️ ジャーマン デザインの特徴は、“引き算による美しさ”だと改めて実感した変態オッサンでありました。

( 写真は全てネットから拝借。)

北海道の未来 ……

世間ではイマイチ盛り上がっておりませんが、2016年に成立した「 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律 ( 通称 : IR法案、カジノ法案 ) 」によって、“2025年頃”我が国に「 IR ( Integrated Resort : カジノを併設した統合型リゾート施設 ) 」が誕生する可能性大になりました。

現在のところ、“最も有望な候補地”は北海道(苫小牧、釧路)、大阪府(夢洲)、神奈川県(横浜)と云われております。

因みに私は、“人生自体がギャンブル(離婚、破産、廃業etc.)”でありましたので、故にギャンブルの類いは一切やりません。よって、コノ件に関しては何の興味もありませんでしたが、先日、偶然見た報道番組により、ある“予想外な点”からチョット興味が沸きました(以下引用、記事は現時点での最新情報)……………

【 米ハードロック、北海道・苫小牧進出に意欲=カジノ含むIR、最大5000人雇用 】( 時事ドットコムニュース )

「ハードロック」ブランドでホテルやカジノなどを展開する米娯楽企業ハードロック・インターナショナル(フロリダ州)のエドワード・トレーシー日本法人最高経営責任者(CEO)は9日、札幌市で時事通信のインタビューに応じた。カジノを含む統合型リゾート(IR)の北海道苫小牧市への進出に意欲を示した。最大5000人規模の雇用機会創出につながると述べた。

トレーシー氏は、「いろんなメリットを持って来られる場所として北海道苫小牧市を選んだ。計画している規模の施設だと、3500人から5000人くらいの雇用を生むことは確実だ」と強調した。( 2019年1月9日 )


御存知ない方の為に、ココで若干のオサライをさせて頂きますと……………

Hard Rock Internationalさん ( 本社 : アメリカ、フロリダ州 ) は、世界中で“アメリカン カフェ レストラン”ハードロック カフェ ( Hard Rock Cafe ) やホテル、カジノを展開する謂わば“観光娯楽企業”で御座います。

❇️ スタートは1971年。

“ロンドン在住のアメリカ人”アイザック ティグレットさんとピーター モートンさんが、ロンドン ( Rolls-Royce 販売店跡 )に“ハードロック カフェ1号点”をオープン致しました。


『 Hard Rock Cafe ロンドン1号店 ( 現在も営業中 ) 』

ピーター モートンさん ( Peter Morton : アメリカ , 1947〜 )

誠に失礼ながら、当時のロンドンは“ヨーロッパで1番食べ物の不味い街”と揶揄されておりましたので、“カジュアルで美味しいアメリカ料理”を提供するHard Rock Cafeは、オシャレな若者を中心にロンドン市民の間で大きな話題となり、“ヨーロッパにアメリカン ダイナーを紹介した先駆者”とまで呼ばれました。

後にトロント、LA、ニューヨーク、シカゴ、パリ、ベルリン、シドニーその他に続々と店舗をオープン。

『 Hard Rock Cafe ニューヨーク店 』

『 Hard Rock Hotel and Casino ラスベガス 』

❇️ 1983年には“日本第1号店”が六本木にオープン。


『 Hard Rock Cafe 東京店 ( 六本木 ) 』

思えば私も、Hard Rock Cafe 東京店さんには随分とお世話になりました。

特に20代の頃“デートの締め”で訪れた記憶が鮮明で、32年間の東京生活に於いても“特別な思い出の場所”で御座います。

Hard Rock Cafeさん“最大のウリ”は、かのアンディー ウォーホール大先生が「Hard Rock Cafeはまるで“ロックのスミソニアン博物館”だ。あのコレクションを見るだけでも、充分に来店する価値があるよ。」とまで仰った、“ロックスター 「 メモラビリア ( MEMORABILIA : 記念品 ) 」”の数々。

愛用ギター、ステージ コスチューム等が数多く展示されており、しかも何と“全て本物”……………

さぞ、“潤沢な資金力”を御活用かと思いきや、エリック クラプトンさんを筆頭に、“ロックスターからの無償提供”も多いと聞きます。

つまり、“ロックに特化したエンタメ系飲食&観光ビジネス”という、オンリーワンのポリシー並びに徹底した戦略が功を成した、世間でも稀なビジネス モデルであります。

ところで、IRについて語る際に必ず提起される「 ギャンブル依存性問題 」。

競馬、競輪、競艇、パチンコが、既に“国民的娯楽”として定着している現状で、今更「 ギャンブル依存性問題 」を深く心配する必要がはたしてあるのでしょーか?……………

“何らかの規制”は当然必要だとしても、「 ギャンブル依存性問題 」は、本件の“キーポイント”にするべきではないと考えます。

❇️ 最も重要なのは、“コンセプトばかりの新興企業”ではなく、Hard Rock Internationalさんの様に、“世界中で経験豊富な超一流プロフェッショナル”に委ねる事だと思います!

“北海道の未来”が心配な変態オッサンでありました……………

『 苫小牧 IR予想図 by Hard Rock International 』

( 画像は全てネットから拝借。)

ジャパニーズは本当に良い人か? ……

“某 有名外国人作家(兼パワー ブロガー)”さんは、かつてブログで「日本で働く全ての外国人労働者が先ず習得すべきは、“日本語や習慣”ではなく日本人の“笑顔と優しさ”である。特にサービス業の方々は誠に素晴らしい。」と仰っておりました。

私もヘアメイク時代に、あらゆる国と地域で多種多様な文化に接しましたが、上記の御意見には全く同感でありまして、正に“ジャパニーズの素晴らしさ”を明確に表現した御言葉だと思います。しかしながら、ジャパニーズは本当に良い人か?と疑問に感じた瞬間も度々ありました。

 

例えば……………

❇️ 1 ) パリ、ロンドン、ニューヨークetc.では、ベビーカーを押している御婦人が電車やバスに乗ろうとした際、“鼻ピアスのパンクス お兄さん”であれ“スタイリッシュなファッショナブル お兄さん”であれ、周りに居る人間が駆け寄って手助け致しますが、32年間の東京生活では何故か“あまり見かけない光景”で御座いました。

❇️ 2 ) パリでは“イタズラ電話”の経験は全くありませんが、ジャパンでは年間10回以上の“イタズラ電話被害”を受けております。

 

そこで変態オッサンは考えました。

❇️ 困っている方に対して“見て見ぬ振り”をしたり、お手軽で陰湿な“イタズラ電話”を多用する様な人間が、はたしてホントーに“良い人”なのでしょーか?……………

そんな民族性及び行動習慣が、はたしてホントーに“良い国”なのでしょーか?……………

 

つい先日、改めてソレを熟考するべき“極めて恥ずかしい事件”が発生致しました(以下引用)。

 

 

【 渋谷の軽トラ転倒「祭」に見る終わりの始まり 】( JB PRESS )

10月28日の早朝、東京・渋谷のセンター街にハロウィンの馬鹿騒ぎで繰り出した群衆が進入してきた軽トラックを取り囲み暴徒化、車体の上に乗るなどの乱暴狼藉の末、警官を呼ぶために運転者が席を離れた隙に、トラックをひっくり返すという事件がありました。

日本は2011年、3.11東日本大震災の後、一件の暴動事件も起きず、派手な略奪などもなく(火事場泥棒的な犯罪はあったようですが)、被災地で避難者が整然と協力して復興に当たるという、地球上でも稀有な「超高モラル社会」として全世界を驚かせた国でした。

まだほんの、7年前の出来事に過ぎません。

それが2018年の秋になると、夜の渋谷に繰り出した、多くは若者と思われますが、群衆が何の罪もない一般車両を取り囲み、それを転倒させて喜ぶという、普通によくある発展途上国の愚民の群れと同じ行動を取ったと報道されている。( 2018年10月30日 )

 

 

因みに私は、1997年〜1999年に渋谷 道玄坂に住んでおりました。

当時の渋谷では、「 ハロウィン コスプレ 」が飲食店スタッフによるサービスとして定着しておりましたが、一般人の「 ハロウィン コスプレ 」は未だ盛り上がっておらず、コスプレイヤー軍団の“大行進”も存在しませんでした。

そもそも「 ハロウィン ( Halloween ) 」は、古代ケルト人(現在のアイルランド周辺地域に居住)の宗教的行事であり、1950年代にアメリカで“子供向け行事”として定着したものであります。

そんな外国の“子供向け行事”を、“大人のコスプレ イベント”に進化させたアイディア自体は悪くないと思いますが、ココ数年“お下品ぶり”はエスカレートの一途を辿り、挙げ句の果てには今回の事件……………

 

 

 

 

コレによって我が国は、謂わば“諸外国非難資格”を永遠に剥奪されたと断言致します!

今年の「 渋谷ハロウィン事件 ( 仮称 ) 」に関わった全ての方々(一部外国人含む)は、御自分の“国際的 恥さらし係数”を良〜〜く計算し直す事をオススメします。「国民性云々の大袈裟な問題ではない。」との声も聞かれますが、地元商店街の方々が「更に過激化して、将来的には大暴動に発展しかねない。」と危惧しているので、既に立派な“重要問題”だと私は考えます。

しかもハチ公前スクランブル交差点は、「 世界一有名な交差点 」として欧米の若者達に大人気でありましたが、アノ報道映像によってイメージダウンは凄まじいかと思われます。

 

 

 

 

ところで、4年前に他界した父親は大の“オネェ嫌い”にも拘らず、マツコ デラックスさんの大ファンでした。

父親曰く「マツコ デラックスさんの発言は決して“他人を傷付けない”。何故ならば常に確信を突いているからだ。」(以下引用)……………

 

 

【 ハロウィーン“暴徒化”にマツコ「渋谷や六本木は禁止」「アイツらを守る理由ある?」】( スポーツ報知 )

東京・渋谷で28日、仮装した若者らが軽トラックを横転させて車の一部を破損させたほか、女性が胸を触られたり、スカート内を盗撮されるなどの被害が発生。都迷惑防止条例違反で5人が逮捕された。

これらの事件を受けマツコは「もう禁止。埋め立て地に隔離してやらせるとか、ある地域を決めてそこから出たらダメとかにしないと。アイツらを守ってやらないといけない理由ある?」。( 2018年10月29日 )

 

 

以上、「 大丈夫かジャパン?」でした。

 

 

 

 

 

 

 

( 写真1、5、6は自身のインスタグラムより。写真2、3、4はネットから拝借。)

 

 

 

 

 

 

世界一でなければ……

子供の頃、GUINNESSさんと云う有名ビール メーカー ( Guinness & Co. : アイルランド , 1756 〜 ) が「 ギネスブック ( 正式名称 : GUINNESS WORLD RECORDS , 1956〜 毎年発行 ) 」なる“世界記録本”を出版している事情が理解出来なかった私は、イギリスのスラングで“世界一”の事をGUINNESSと呼ぶのだと思っておりました……………

ソノ後暮らしたパリで、レ アール ( Les Halles : パリ1区 ) に“安くて旨いBAR(ツマミも充実)”を発見。某有名ヘアドレッサーの弟子だった私は、師匠の仕事仲間であるファッション フォトグラファーや、スタイリスト(エディター)の御弟子さん達と毎晩通いました結果、BARのイギリス人バーテンダーさんから「GUINNESSは世界一の“黒ビール メーカー”で、ソコが発行している“世界記録本”がギネスブックだよ。」と教わった次第で御座います。

 

 

❇️ 因みに、上記はレ アール名所『 ポンピドゥー センター ( 正式名称 : Centre national d’art et de culture Georges Pompidou ) / Place Georges Pompidou , 75004 Paris , France ) 』

決して“建築足場”が残っている状態ではなく、こーいうデザインでなのであります。正にギネス級の“難解建造物”。 )

 

 

そんなギネスブックには、実に意外な“珍記録”も色々と掲載されておりますので、本日はソノ一部を御紹介させて頂きます ( 以下「 BuzzFeed News , 2018年10月12日 」より )。

 

 

❇️「 世界最高齢 クラブDJ 」……………岩室 純子さん ( aka DJ SUMIROCK : ジャパン ) 83歳。

77歳でDJの世界に足を踏み入れた“超遅咲きDJ”岩室 純子さん。我が国の高齢者はエネルギッシュだと改めて実感。

 

❇️「 移動中の車上でサッカーボールをコントロールした世界最長時間 」……………アッシュ ランドウェルさん ( イングランド ) 93秒間。2014年11月15日に達成。  

こんな“危険でアホアホしい記録”に挑戦する人が、はたして世界中に何人いらっしゃるかは不明。

 

  

❇️「 世界最多数のブロック コレクション 」……………フランク スモーズさん ( オーストラリア ) 3837点。2017年5月9日達成。

正直なところ“意外と少ない”気が致します。

 

❇️「 ゴーカート世界最高速度 」……………トム バングナルさん ( イギリス ) 時速180km。2017年9月5日に達成。

ココで云う“ゴーカート規定”が不明ではありますが、速いのは間違いありません。

 

 

こーやって拝見すると“世界的な偉業”には変わりませんが、チョット笑ってしまう様な“世界記録”山積みで御座いますが、何れにしても“真面目にふざける精神”はイギリス人らしいのかも知れません……………

 

 

❇️ 「 1分間に製造可能なソーセージの世界最高数 」……………バリー ジョン クロウさん ( アイルランド ) 78個。2017年4月3日に達成。

てっきり“ドイツ人のお方”だと信じて疑いませんでした。ところで私は、“アイルランド ソーセージ”を食した経験がありません。

 

❇️ 「 犬による1分間に飛んだダブルダッチの世界最多回数 」……………ジェロニモとその飼い主サマンサ バレーさん ( アメリカ ) 128回。2014年4月7日に達成。

人間だけではなく“人馬(人犬)一体”の記録は更に難易度アップ。

 

❇️ 「 世界最大の編み針 」……………エリザベス ボンドさん ( イギリス ) 4.2メートル。2017年6月13日に達成。

何故に“編み針”だったのかお訊きしたい。

 

❇️ 「 猫の足に積めるサイコロの世界最多数  」……………ビビと飼い主のL.C.ショーさん ( マレーシア ) 10個 ( 写真は9個 ) 。2017年6月18日に達成。

何故に“こんなレア ジャンル”に挑戦したのか全く意味不明。

 

 

❇️ 変態オッサンなりの総括。

モンティ パイソン ( Monty Python ) に代表される“ブリティッシュ センス”は誠に理解不能でありますが、イギリス人が拘る“世界一”と“真面目にふざける精神”には素直に頭が下がります。

やはり“世界一”には大きな意味がありますし、ソノ探究こそが“現代のジャパン”に最も欠けている点ではないでしょーか?……………

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)

 

 

 

 

MADE IN JAPAN ……

個人的に“MADE IN JAPAN”の偉大さを実感した瞬間(1980年代のお話)。

 

❇️ 1 ) フランス版「 Marie Claire 」や「 ELLE 」等の“超一流ファッション誌”カヴァー フォトを手掛ける某有名フォトグラファーさんが、何とNikonさんのセカンドライン(廉価ブランド)であるNikomatを使用しておりました。驚いた私は、失礼を承知の上で「そのカメラ(ブランド)、ジャパンではアマチュア フォトグラファーしか使いませんよ。」と言いましたら「Nikonは下級機でも“プロ クォリティー”だから全く問題ない。Nikomatは軽くてコンパクトだから、むしろロケにはコッチの方が向いているかも知れない。何れにしても“MADE IN JAPAN”だからね。」

❇️ 2 ) パリコレ等の音楽を手掛ける某有名DJ兼プロデューサーさんが「先日TOKYOで楽器店廻りをしたんだけど、4000フラン(当時のレートで約10万円)以下のギター(アコースティック&エレキ)でも、充分に“プロ クォリティー”なのは驚いた。フランスのギタリストはFenderやGibsonには拘らないので、皆んなに話したら興味津々だったよ。さすが“MADE IN JAPAN”だって。」……………

 

ロック史上に残るライブ レコーディング名盤『 Made in Japan / Deep Purple  ( 1972 ) 』。

 

 

『 Made in Japan ( 日本盤は“Live in Japan” ) / Deep Purple  ( 1972 ) 』

 

 

“Deep Purple元リーダー”ジョン ロードさんが晩年、イギリス音楽誌のインタビューで「何故、アルバム タイトルを“LIVE IN JAPAN”じゃなくて“MADE IN JAPAN”にしたのか?と何度も訊かれたけれど、私には“MADE IN JAPAN”ってワードが近い将来、世界中で“ブランドとして流行する予感”があった。だから敢えて“MADE IN JAPAN”にしたんだよ。」……………

 

 

ジョン ロードさん ( Jon Lord : イギリス , 1941〜2012 )

 

 

結局のところ、ジョン ロードさんの予感は見事に的中。

1970年代〜1990年代の工業製品に於いて、“MADE IN JAPAN”のプレステージと破壊力は誠に凄まじく、特に電気製品とカメラに関しては「ヨーロッパ製品もイイけど“MADE IN JAPAN”じゃないと意味がない。」的なムーブメントが世界中に浸透しておりました。

 

 

『 SONY Radio  ( 1981 ) 』

 

『 SONY Walkman  ( 2代目 : 1981 ) 』

 

『 Nikon F  ( 1959 ) 』

 

『 Nikon F3  ( 1980 ) 』

 

 

時が過ぎて2018年、残念ながら“MADE IN JAPAN”は「 詐称と不信の象徴 」に成り下がってしまったのであります(以下引用X2)……………

 

 

【 日産・スバル「完成検査不祥事」と「カビ型不正」の“恐ろしさ” 】( YAHOO!JAPAN ニュース )

昨年秋以降、日産自動車の無資格完成検査、神戸製鋼のデータ改ざん問題を契機に、大企業をめぐる不祥事が多発している。データ改ざん等の問題は、三菱マテリアル、東レ等にも波及し、多くの素材・部品メーカーで、同様の不祥事が表面化する一方、自動車メーカーの完成検査をめぐる問題は、日産、スバルでの、燃費・排ガス検査をめぐる不適切な検査が明らかになるなど、引き続き社会の注目を集めている。

私は、かねてから、組織の問題行為を、個人の利益のために個人の意思で行われる単発的な問題行為としての「ムシ型」と、組織の利益のために、組織の中で長期間にわたって恒常的に行われる「カビ型」の二つがあることを指摘してきた。( 2018年9月30日 )

 

【 KYB免震改ざん  原発や観光施設も使用 全国に動揺拡大 】( 毎日新聞 )

油圧機器メーカーKYB(東京都港区)とその子会社による免震・制振装置(オイルダンパー)のデータ改ざん問題を受け、両社のダンパーを使った施設を抱える役所や企業は17日、慌ただしく確認作業に追われた。より高い安全性が求められる原子力発電所の関連施設や外国人などでにぎわう観光施設も含まれ、関係者には動揺が広がった。( 2018年10月17日 )

 

 

因みにKYBさんは、第二次世界大戦中の「 零式艦上戦闘機 ( 通称“ゼロ戦” ) 」油圧ダンパーを独占供給していたメーカー。現在は“自動車用ショックアブソーバー”で世界第2位のシェアを誇り、旧車の存続率が不明ながらも、一説によれば“地球上の自動車3.5台に1台”がKYBさん製ショックアブソーバーを装着しているとの試算もあります。

つまり、世界中に甚大な影響を与え得る“MADE IN JAPAN”大失態なので御座います。

 

 

 

 

そこで変態オッサンは考えました。

1970年代〜1990年代、我が国が工業製品で世界を席巻出来た理由は、ライバル(中国や韓国)を気にせず、時間と資金を投入した“モノ造り”が可能だったからであります。ところがソノ後、中国や韓国に対抗して“生産性並びに低コスト”を最優先した結果、諸々のシステムが破綻して、もはや“MADE IN JAPAN”のアドバンテージが完全消滅……………

もし本当に“ジャパン アズ No.1”に返り咲きたいのであれば、“生産性並びに低コスト”で中国や韓国に対抗するのを諦めて、“高技術並びに高級路線”に徹底するしか“生き残る道”は無いと思われます。

 

よって今こそ、“MADE IN JAPAN”を考え直す時期なのは間違いありません!

 

 

『 SONY Xperia Z  ( 2013 ) 』

 

 

❇️⬆️ 「 “MADE IN JAPAN”の先進性と素晴らしさ 」を凝縮したCM。

“モノ造り”に関わる全ての方々に観て頂きたい秀逸な作品。デヴィッド ボウイさんのヴォーカルが泣かせます。

 

こんなCMをジャパンでも放送する様になったら、SONYさんも“完全復活”なんですがねぇ……………

 

 

『 MADE IN JAPAN ー AKIO MORITA and SONY ー / Edwin M.Reingold その他著  ( 1986 ) 』

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラーレスはボーダーレス ……

「 α ( アルファ ) シリーズ 」はMINOLTAさんが開発した一眼レフカメラ シリーズであり、ソノ後KONICA MINOLTA時代を経て、2006年に“権利及び製造インフラ”がSONYさんへと売却されました。

「 SONY 一眼レフカメラ 」誕生の瞬間であります。

プロ カメラマンの方は多種多様なレンズを所有しておりますが、基本的にソレらのレンズは同一メーカー ボディーにしか装着出来ません。つまり“KONICA MINOLTAユーザー”だったプロ カメラマンの方が、そのまま“SONYユーザー”へと転身した訳で御座います。

しかしながら、我が国のプロフェッショナル ユースに於いてCanonさんとNikonさんのシェアは断トツであり、SONYさんが“トップシェアの一角”に入り込む余地はありませんでした……………

 

そんなSONYさんが“一筋の光”を見い出したのは2017年。

“僅か673g”のライト ボディーに、何と“2420万画素”のイメージ センサーを備えた“フルサイズ ミラーレス一眼”「 α 9 」を発売。約50万円(ボディーのみ)と御立派なプライスにも拘らず、欧米では主にプロ カメラマン並びにハイ アマチュア層の取り込みに成功致しました。

 

 

『 SONY α 9 』

 

 

本来、撮影時にミラーの上下運動を伴わないミラーレス一眼は、故にシャッター作動時の振動が少なく、“次期プロフェッショナル ツール”との呼び声が高かったのですが、やはり“ミラー越しに実像を結ぶ一眼レフ”に信頼を寄せるプロ カメラマンは予想外に多く、世界中で売り上げが伸び悩んでおりました。

そこでSONYさんは得意技を活かし、“フルサイズの優位性”と特出したハイ スペック、そして“LEICAさんライクなミニマル デザイン”によって、全てのデメリットを払拭した完成形「 α 9 」に到達したので御座います。

 

因みにNikonさんは、フィルム時代の“余りにも大きな栄光”によるプライドと拘りが災いして、“デジタル対応”に著しく遅れたトラウマがありましたので、「 SONY α 9 」の大成功は“Nikonにフルサイズ ミラーレス一眼を諦めさせたのでは?”との声さえ聞こえましたが(以下引用)……………

 

 

【 ニコン、”新マウント採用のフルサイズミラーレスカメラ”を開発発表 】( デジカメWatch )

株式会社ニコンは7月25日、ニコンFXフォーマット(いわゆる35mmフルサイズ相当)を採用するミラーレスカメラおよびNIKKORレンズの開発を進めていると発表した。発売時期や発売価格などは未定。レンズマウントは「新たな次元の光学性能を追求するため」として新規のものを採用。マウントアダプターを介してFマウントNIKKORレンズも使用可能としている。

なお同じタイミングで、ユーザー向けイベント「Nikon Fan Meeting 2018」の開催も発表されている。9月1日から全国7都市を巡回するスケジュールになっているため、ミラーレスカメラは8月中の正式発表も期待できる。( 2018年7月25日 )

 

 

 

 

プロジェクト自体が未だ“ティーザー(チラ見せ)段階”であり、商品実態は何とも判断しかねますが、上記写真を見ただけでも“トンデモない傑作”を予感させます……………

同時に、「 2001年宇宙の旅 」を彷彿とさせるプロモーション ムービーも公開されました。

 

 

『 Travel of Light / Nikon  2018 』

 

 

正に“これぞティーザー広告”と呼びたい程のイメージ戦略。

タイトルである「 Travel of Light 」も、昔の“絶対王者Nikon”が甦った様な力強さを感じさせます。

Nikonさんの本格参戦により、今後はファッション、報道etc.あらゆるプロフェッショナル フォト ジャンルで、“フルサイズ ミラーレス一眼”が確実に普及するかと思われます。

 

残念ながら昨年、記念すべき“創立100周年”を大赤字計上で飾ってしまったNikonさん……………

“フルサイズ ミラーレス一眼”でのリベンジに“乞うご期待”であります!

 

 

 

 

❇ ところで昔、何度かお世話になった“ファッション フォトグラファーの巨匠”ピーター リンドバーグさんは、“Nikonユーザー”としてもヒジョーに有名なお方。

おそらく“Nikon フルサイズ ミラーレス一眼 予約第1号”は、ピーター リンドバーグさんだと予測する変態オッサンで御座いました……………

 

 

ピーター リンドバーグさん ( Peter Lindbergh : ドイツ , 1944〜 )

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)

職人的音楽写真家 ……

1900年代前半のファッション フォトグラフに於いて、革新的技法を用いて偉大な足跡を残した写真家セシル ビートンさん ( 本名 : Cecil Walter Hardy Beaton , イギリス , 1904〜1980 ) は、同時にイギリス王室お抱えの「 宮廷写真家 」としても有名であり(後に“大英帝国勲章”受章)、写真に興味をお持ちの方なら「 宮廷写真家 」と云えば、即ちセシル ビートンさんを思い浮かべるかと思われます。

本来、肩書きやキャッチフレーズは“特定ジャンルに長けたスペシャリスト”を意味致します。つまり肩書きで呼ばれるクリエイターには、どこか職人的で特別な魅力を兼ね備えた方が多く、肩書きは、クリエイターを知る得る重要なツールの一つだと考えます……………

 

鋤田 正義さんは、正に“我が国が世界に誇る”「 音楽写真家 」で御座います。

 

 

鋤田 正義さん ( スキタ マサヨシ : 福岡県直方市出身 , 1938〜 )

 

 

鋤田 正義さんは1970年〜80年代に掛けて、主にイギリス ロックスターのジャケット写真に代表される“ポートレート フォト”で、御自身のスタイルと評価を確立されました。何気ない表情ながらもヒューマニズム溢れる独特の作風は、世界中のトップ ミュージシャンから圧倒的に支持されましたが、故 デヴィッド ボウイさんとの交友は特に有名であり、デヴィッド ボウイさんを被写体とした作品は、ロック ファンにとっての“マスターピース”となっております。

 

因みに、変態オッサンにとってデヴィッド ボウイさんは、「 シリアス ムーンライト ツアー 1983 」横浜公演で一度拝観しただけでありますが、1993年に再婚されたイマン アブドゥルマンドさん(スーパー モデル)には、私がヘアメイク時代、パリコレで色々と教えて頂いた経験があります……………

よって身勝手に“縁”を感じておりますので、本日は鋤田 正義さん作品群の中から、デヴィッド ボウイさん関連作品の一部を紹介させて頂きます。

 

 

『 DAVID BOWIE , HEATHEN , 2002 』

『 DAVID BOWIE , A DAY IN KYOTO 4 ー TELEPHONE BOX , 1980 』

『 DAVID BOWIE , JUST FOR ONE DAY , 1977 』

『 DAVID BOWIE , A DAY IN KYOTO 2 ー HANKYU TRAIN , 1980 』

『 DAVID BOWIE , JUST WATCH ME NOW , 1978 』

『 DAVID BOWIE , HANG ON YOUR SELF , 1973 』

 

 

上記作品の特徴として、単なる肖像写真ではなく“信頼関係が確立されたフォト セッション”である点が挙げられます。

暖かいポートレート フォトや臨場感まで伝わって来るドキュメント フォトは、まるでデヴィッド ボウイさんのお宅にて、“プライベート フォト アルバム”を拝見している気分になりますし、お二人が極めて強い信頼関係で結ばれていたのは、これらの作品からも容易に想像出来ます。

 

更には、お二人の強い信頼関係を証明する誠にユーモラスな実例も……………

 

 

『 The Next Day / DAVID BOWIE  2013 』

 

 

デヴィッド ボウイさんが実に10年のブランクを経て、2013年1月8日(デヴィッド ボウイさん66歳の誕生日)に突如リリースが発表された本アルバムは、レコーディング スタッフ、スタジオに出入りしていたフード サービスまでもが、“他言無用誓約書”にサインさせられた事が話題となりました。

そんな“極秘プロジェクト”のジャケットに採用されたのが、本日のアイキャッチ画像でも使わせて頂いたデヴィッド ボウイさん代表作品、『 HEROES / DAVID BOWIE  1977 』by 鋤田 正義さんの何と“セルフ パロディ”で御座いました!

但し、肝心のサウンドは“ライブ的でヒジョーに軽い音”なので、正直なところガッカリでありました。しかしながら、ジャケット写真を含めての“プロモーション戦略”には改めて脱帽……………

 

ところで、“鋤田 正義さんワールド”を覗けるドキュメンタリー映画が、ジャパンで現在公開中であります。

 

 

『 SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬 / 監督 : 相原裕美  2018 』

( C ) 「 SUKITA 」パートナーズ 2018

【 新宿武蔵野館(新宿)、YEBISU GARDEN CINEMA(恵比寿)にて、2018年5月28日(月曜日)迄公開中 】

 

 

鋤田 正義さんのオリジナル プリントは、当然ながら立派なお値段で御座いますので(特にニューヨーク、ロンドンで高騰中)、せめて映画なんぞ如何でしょーか?……………

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)

 

 

世界公認 ……

昔の飲み仲間で、ロンドンと東京を往復していたイギリス人のお方がおりました。

20年近く前のお話でありますが、彼と六本木で飲んでおりましたら……………

「ジャパニーズは外国の情報に長けているけれども、肝心な“自国の偉人”を知らない場合が多い。例えば今、ロンドンやパリのファッショナブルなBARで“好きなジャパニーズ ミュージシャンは?”と訊ねたら、おそらく殆どの人が、BOOM BOOM SATELLITESもしくはBONNIE PINKと答えるに違いない。ところが先週、六本木で周りのジャパニーズにソノ話をしたら、何と彼等はBOOM BOOM SATELLITESもBONNIE PINKも知らなかった。コレって、オカシイと思わないかい?だって、自国の有名ミュージシャンだぜ。」との御言葉。

BOOM BOOM SATELLITESのヴォーカリスト、川島 道行さん(残念ながら2016年に他界)は、英語のネイティブ スピーカーではありませんでしたが、全ての楽曲を英語で作詞し、欧米人ネイティブ スピーカーから「スンナリと耳に入って来るクールな歌詞。」と評価されました。加えて、メロディー並びにリズムもオリジナリティーが高かったBOOM BOOM SATELLITESさんは、言ってみれば充分な“世界品質”を持っていた訳であります。対するBONNIE PINKさんの世界観と音楽性も又、誰にも似ていない“オンリーワンの魅力”に溢れていた様に思います。

 

時代は変わりまして……………

記憶に新しいところでは、BABY METALさん(ガールズ ダンス&ヴォーカル ユニット)が、楽曲に英語歌詞を用いなくとも、ジャパニーズ ポップ カルチャーを前面に押し出したパフォーマンスと確かなスキルによって、欧米の音楽ファンのみならず、多くの“大御所ロック スター”さえも虜にしてしまい、ココ数年“欧米で最も有名なジャパニーズ ミュージシャン”として定着した感があります。

 

そこで本日は、某アメリカ人メル友が今ハマっている“ジャパニーズ ガールズ バンド”を御紹介致します。

先ずは、先入観なしに以下のビデオ クリップを御覧頂きたいと思います。

 

 

『 Choose Me / BAND-MAID  2017 』

 

 

“コンセプト一目瞭然”のBAND-MAIDさん。

過去に秋葉原「 メイド喫茶 」で働いていた中心メンバーのMIKU ( 小鳩 ミク ) さんが、“メイド ファッションとロックを組み合わせたら面白い”との発想で結成して、2013年にメジャー デビューした5人組ガールズ ロック バンドであります。

 

 

 

 

注目すべき点は、“コンセプト先行のプロジェクト バンド”かと思いきや、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムが極めて高レベルで融合されており、デビュー5年で既に“円熟期”の貫禄さえ感じられます。2016年にはイギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペインetc.ワールド ツアーを敢行して、ヨーロッパ 音楽専門チャンネル等で大きく取り上げられました。

 

 

SAIKIさん ( ヴォーカル )

MIKUさん ( ギター、ヴォーカル )

KANAMIさん ( ギター )

MISAさん ( ベース )

AKANEさん ( ドラムス )

 

 

SAIKIさんの力強いヴォーカルは、“テヨンさん(少女時代)”を彷彿とさせる本格派でありますし、ツイン ギターの厚みと小気味良いドラムス、的確なベース ラインは、“70年代アメリカン ロック”を彷彿とさせる存在感で御座います。

しかも、そんな真面目で上質なサウンドにも拘らず、ライブ活動を「 お給仕 」と呼び、ファンを「 御主人様 」と呼ぶ“ジャパニーズ コンテンポラリー”な演出……………

 

某アメリカ人メル友が、スッカリ“骨抜き状態”にされてしまったのも頷けます。

 

 

 

 

かつて我が国のミュージシャンが、世界を目指して言語、文化、技術、感覚、環境の違いによって挫折した時代が御座いました。

インターネットの普及は情報の時間差を解消し、“アジア人のデメリット”が昔に比べて激減した事も重要なアドバンテージではありますが、世界に認められるには、やはり“誰にも似ていない独自性”が必須条件かと……………

よって、昨今のヤング ジャパニーズ ミュージシャン、とりわけガールズ グループの大躍進には、心から“アッパレ”と叫びたくなります!

 

“長生きして良かった”と改めて実感した変態オッサンでありました。

 

 

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)