夢・夢のあと …… 追悼 高田賢三様。

中学生時代(70年代後半)、レッド ツェッペリンやデヴィッド ボウイ等“洋楽ロック”を通してファッションに興味を持った私ですが、当時の私にとってロックやファッションは即ち“白人文化”そのものであり、間違っても“アジア人(日本人)”は一生進出不可能なジャンルだと思っておりました。

ところがある日、KENZO TAKADA(高田賢三)さんという日本人が“モードの本場パリで大活躍している”というドキュメント番組を見て、ヒジョーに衝撃を受けました。しかも、作風はかつて見た事も無い民族調(アジア、アフリカetc.)、おまけに“ド派手でファンキーな色柄”にも拘らず、基盤はトラディショナルで極めて上品。“こんな凄い日本人が居るんだ?” と本当に驚きました。

“高田賢三さん並びにKENZOブランド”に興味を持った私は、ヘアメイクを目指して上京しますが朝食はパン一枚、夕食はインスタントラーメンで仕送りを節約し、年2回の西武デパート バーゲンで高田賢三さんの服を買う生活。しかしながらKENZOブランドに限らず、当時の有名デザイナーズ ブランドはメンズラインを展開していない場合が多く、したがって“メンズっぽいレディース クローズ”を毎回購入しておりました。

今にして思えば、当時の私は“感覚、気力、体力”が充実しておりましたので、色々な運が回って来た様に感じます。ヘアメイクになって2年後、パリの有名ヘアサロン兼ヘアデザイナー エージェンシーに所属するだけでもラッキーなのに、師匠が高田賢三さんと公私に渡って付き合いがあり、何と高田賢三さんのパリコレでヘアを担当させて頂いたり、お酒やお食事をご馳走になったり……………

私が帰国後も、東京にいらした時には何度かお会いして食事したり、クラブに御一緒したりと、楽しい思い出が沢山あります。

Kenzo in Paris, 1994.

大きな家に住み、PORSCHEを乗り回して“有頂天”になっていた私はやがて破産廃業し、ソノ後はスッカリ疎遠になってしまいましたが、LVMH(ルイ ヴィトン モエ ヘネシー グループ)に会社を売却したとか、“約25億円で建設した豪邸を手放した”とか、“酔っ払い運転で公道を逆走して逮捕された”とか、現役を引退したとか、復帰して会社を設立したとか、高田賢三さんの情報は常に気になっておりました……………

❇️ “天下のサンローラン”からパリコレの大トリを奪った男。

❇️ “フォークロア(民族調)、スーパーレイヤード(重ね着)”を普及させた男。

❇️ “コットンの価値”を再認識させた男。

「例え同じ素材、同じ染料、同じ型紙を使ってもパリと東京では全く同じになる訳がないよ。だってパリと東京では“空の色”が違うもの。」と仰った高田賢三さん。

多くの日本人クリエイターがパリに魅了されましたが、高田賢三さん程“パリから愛された日本人”はもう2度と現れないと思います。

心より御冥福をお祈り致します。

そして、本当に有難う御座いました!

( 画像は全てネットから拝借。)

皇帝 ……

パリ時代、大変お世話になったファッション デザイナーの高田賢三さんは、70年代〜80年代パリコレのステージに“象”を登場させたり、我が国が世界に誇る“YMOさん”をライブ パフォーマンスに起用したりetc.“ドラマティック&スペクタクル”なステージングを展開して、パリコレに新しい価値観を誕生させました。

ソノ後、様々なデザイナーさんが“特異な発表会場”や“奇想天外な演出”によって、“モードの頂点”パリコレを舞台に、世界中から集まった観客を愉しませてくれたので御座います。

ところが90年代以降は、景気の変動やプレタポルテ(高級既製服)市場のポジショニング変化も相まって、パリコレの演出や発表されるコスチュームはより“シンプルでスタティック”な方向に舵を切りました。

 

率直に云えば“ネタ切れ状態”でもあったと思われますが、“トップモードの大御所”CHANELさんにとって、ネタはまだまだ尽きていない様であります(以下引用)。

 

 

【 グランパレが「シャネル」の森に! 2018秋冬プレタポルテコレクションに豪華セレブが集結 】( ELLE ONLINE )

現地時間3月6日(火)、「シャネル」が2018秋冬コレクションを発表。会場となったグランパレには、客席やランウェイ一面に枯葉が敷き詰められ、落葉した木立ちが連なる幻想的な森が出現。メゾンを象徴するモノトーンの世界観に落葉のような赤褐色や黄褐色、苔や針葉樹の葉のようなグリーン、樹皮のようなブラウンが加わり、さらに葉のモチーフのジュエリーボタンや木々の年輪のようなパターンなど、美しい自然のエレメンツを取り入れたコレクションでオーディエンスを“シャネルの森”の世界に誘った。( 2018年3月8日 )

 

 

『 CHANEL :  FALL and WINTER ( 2018 – 2019 ) Paris Collection 』

 

 

念の為に補足させて頂きますと、上記映像は決してブローニュの森で開催されたコレクションではありません。

グラン パレ(パリ8区にある大規模展示場)に、大量の枯葉や植物を用いて人工的に造った“CHANELの森”で御座います……………

 

 

 

 

ネイチャー感満載な会場で観る“王道トップモード”は、さぞかし圧巻で素晴らしい異次元トリップだったと容易に想像出来ます。

 

 

 

 

ところで、コノCHANELさんを1983年から35年間も率いておりますのは、かの有名なカール ラガーフェルド ( 本名 Karl Otto Lagerfeld : ドイツ , 1933〜 ) 先生。

ファッション デザイナーとしてCHANEL、FENDI、そして御自身のシグネチャー ブランドを統率する他に、写真家、音楽プロデューサーとしても超一流の正に“天才マルチ クリエイター”であります!

 

 

1954年、「 国際羊毛デザイン コンテスト 」“コート部門”で優勝した時のお姿。

1983年、CHLOÉ 在籍時のお姿。

 

 

実は、1971年にココ シャネル ( 本名 Gabrielle Bonheur Chanel : フランス , 1883〜1971 )さんが亡くなって以来、CHANELさんは長らく“冬の時代”が続きました。そんな名門を復活させたのがカール ラガーフェルド先生でありまして、“外国人が老舗メゾンを再生した”という業績に関しましては、当ブログ有名人である、トム フォードさん(元GUCCI)の先輩とも云える存在で御座います。

35年間もトップ メゾンのデザイナー(クリエイティブ ディレクター)を担当して、しかも常に“高評価並びに高セールス”を維持するのは、もはや人間業の領域を遥かに超越しており、カール ラガーフェルド先生は、謂わば“生きながら神格化されたブランド”なのであります。

 

 

最近のお姿(本年9月10日で御歳“85歳”)。

 

 

そんなカール ラガーフェルド先生。

当然ながら“名言(迷言)”のレパートリーも数多く、ココに極一部を御紹介させて頂きます。

 

✳「 私は生きるレーベルだ。名前は“レーベル フェルド”、ラガーフェルドではない。」

「 私を服に例えるならば白いシャツだ。何故なら“非の打ち所がない”から。」

「 ロングヘアは絶対に切らない。何故なら“私のロゴ”だから。」

 

 

 

 

因みに変態オッサンは、1985年に一度だけカール ラガーフェルド先生にお会いした経験があります。

当時はドイツ人の友人が何人もおりましたが、カール ラガーフェルド先生のキョーレツな第一印象は……………

_ “エッ、こんなドイツ人も居るの?” _

 

ソレが“何を意味するか”は、皆さんの御想像にお任せ致します。

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)