転がり続けるヨーロッパ ……

本日は冒頭から引用で失礼致します(以下引用)。

 

【 パリ燃ゆ…「黄色いベスト」デモ、一部暴徒化も 】( YOMIURI ONLINE )

パリ中心部のシャンゼリゼ通りで24日、フランス政府による燃料税引き上げやガソリン価格高騰に抗議するデモが行われ、暴徒化した一部の参加者と治安部隊が衝突した。AFP通信によると、衝突で約20人が負傷し、40人以上が拘束された。デモはフランス各地で17日から続いている抗議運動で、参加者が、シンボルとなっている路上作業用の黄色いベストを身に着けることから、「黄色いベスト運動」と呼ばれている。運動開始から2回目の週末となった24日は、フランス全国で約10万人が参加した。

パリではシャンゼリゼ通りに数千人が集まり、「マクロン(大統領)は引っ込め」と書いたプラカードなどを掲げて通りを占拠した。デモ隊は車道からはがした敷石を治安部隊に投げつけ、治安部隊は催涙ガスや放水で応戦した。周辺では燃やされた車やバイクから黒い煙が上がり、深夜まで警察車両のサイレンが鳴り響いた。凱旋がいせん門やエッフェル塔といった名所も閉鎖され、観光にも影響が出た。( 2018年11月26日 )

 

 

 

私が住んでいた頃(1980年代)にも、パリではデモ行進が日常茶飯事で御座いました。
しかしながら、ソレは謂わば“民主主義(資本主義)国家”としての極めて自然なアピール行為であり、むしろデモ行進を滅多に見掛けなかった我が国が、“民主主義的な社会主義国家なのでは?”と感じた程であります。但し、昨今のパリに於けるデモ行進や暴動は、明らかに“意味合い”並びに“質”が異なります。
まるで発展途上国特有の“叫び”にも似た声が聞こえます……………

 

しかも、“迷走中”なのはフランスだけではありません。

2016年に発表された所謂「 ブレグジット ( Brexit : EUからのイギリス脱退 ) 」に端を発した“性急改革主義”が蔓延して、特に若い世代を中心とした世界的ムーブメントとなり、ヨーロッパ全体が新秩序構築の“混乱期真っ只中”に……………

特に問題なのはEUの“ビッグ3”であるイギリス、ドイツ、フランス間で、“修復不可能な亀裂”が発生しつつある点かと思われます。

 

 

❇️ テリーザ メイ イギリス首相 ( 本名 : Theresa Mary May , 1956〜 )

 

❇️ アンゲラ メルケル ドイツ首相 ( 本名 : Angela Dorothea Merkel , 1954〜 )

 

❇️ エマニュエル マクロン フランス大統領 ( 本名 : Emmanuel Jean – Michel Frédéric Macron , 1977〜 )

 

 

そもそもEU ( European Union : 欧州連合 ) とは、ヨーロッパのエネルギーや経済関係共同体を1967年に一本化し、1998年に通貨 ( EURO : ユーロ ) が統合された組織でありまして、現在の加盟国は計28ヶ国で御座います。

 

❇️ フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イギリス、アイルランド、デンマーク、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、フィンランド、オーストリア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、キプロス、マルタ、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア。

 

 

因みに私が、1980年代のヨーロッパ(フランス)に住んで感じたのは……………

 

❇️ 1 ) アメリカの圧倒的な“経済力”は許し難い。

❇️ 2 ) “経済力”で急成長著しいジャパンは既に脅威だが、今後もソレに追従するアジア諸国が登場するかも知れない。

❇️ 3 ) もしヨーロッパが一丸となれば、“経済力”に加えて“政治力”でも世界のトップになれる。

 

上記トピックは、実際にTVの政治討論etc.で取り上げられておりましたし、同じ目的の為なら“ヨーロッパは一つになれる”と、信じる(信じたい)ムードが蔓延していたのを覚えております。

 

 

 

 

ところが、“個性を重んじる”のを重要視する余り、自分を肯定するが故に“他人を否定する傾向が強い”のがヨーロッパ人。よって“一致団結”するのはヒジョーに困難だと考えます。つまり“EU”の発想自体が、ヨーロッパ人にとっては“絵に描いた餅”以外の何物でもなかった訳でありまして、結局のところEUは“旧ソ連の社会主義”同様に、“20世紀最大の失敗”として歴史に刻まれてしまうかも知れません。

 

ヨーロッパ“終わりの始まり(ファイナル カウントダウン)”が、ゆっくりとスタートし始めた気が致します……………

 

そこで、変態オッサンは断言させて頂きます。

 

❇️ 「 EUは20年以内に必ず崩壊致します! 」

 

 

『 The Final Countdown ( Official Video ) / EUROPE  1986 』

 

 

 

 

 

( 画像は全てネットから拝借。)

 

 

ALL YOU NEED IS LOVE ……

本日は冒頭から引用で失礼致します(以下引用)。

 

【 フランス大統領選は親EUマクロンが勝利 仏史上最年少の指導者誕生 】(Newsweek)

フランスで7日に行われた大統領選の決選投票は、超党派の市民運動「前進」を率いる親欧州連合(EU)の中道系候補エマニュエル・マクロン前経済相(39)が、EU離脱や反移民を掲げる極右政党・国民戦線(FN)のルペン党首を破り勝利した。英国のEU離脱の選択をもたらしたポピュリズム(大衆迎合主義)のうねりに動揺していた欧州各国からは結果を歓迎する声があがっている。マクロン氏は、ナポレオン以降、フランスで最年少の指導者となる。また、カナダのトルドー首相に代わり、主要7カ国(G7)で最年少の首脳となる。(2017年5月8日)

 

当ブログのプロデューサーである“秀津風親方さん”が、事前に分析した通りの選挙結果だったのはサスガでありますが、何よりも“ヨーロッパで最も気に入らないオバサン”が落選なさった事により、最大の懸念事項であった「 国際政治、最悪のシナリオ 」が、取り敢えず“御蔵入り”になったのは誠にお目出度い限りであります。

ところで、コノ度『 第25代フランス共和国大統領 ( 並びにアンドラ公国共同大公 ) 』に御就任なさったエマニュエル マクロン(本名 : Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron,1977〜)さんは、ナポレオン 3世(ナポレオン ボナパルトの甥,1808〜1873)閣下よりも若い39歳で御座います。

 

しかも何と、今回の選挙がエマニュエル マクロンさんにとっては初選挙。正に“シンデレラ ボーイ”と呼ぶに相応しいフレンチ ニュー ヒーローの誕生であります。

しかしながら、このニュー ヒーローさん。政治経験ゼロというハンディキャップに加えて、過去の言動及び行動から判断するならば極めて“中途半端な政治家”とも云えます。例えば、自らは“中道左派”であると強調しながら、同時に熱狂的な「 毛 沢東 思想主義者 」でもあり、ソノ延長として現代中国の経済や政治姿勢を大絶賛しており、過去には「フランスの盟友(同盟)国として、イギリスよりも中国の方が遥かに重要だ。」との御発言で、ケッコーな物議を醸し出した経験をお持ちで御座います。

但しエマニュエル マクロンさんは、オランド政権下で『 経済、産業、デジタル大臣 』をなさっていた2015年に、通称「 マクロン法 」と呼ばれる“偉大な業績”を成し遂げたのですが、皆様は御存知でしょーか?偉大かつ斬新な「 マクロン法 」のヘッドライナーは……………

“デパート日曜日営業”の全面許可であります。

欧米諸国のデパートは本来“土曜日、日曜日は休業”がセオリーであります。フランスの場合は“日曜日営業は年間5日間のみ”と長年に渡って定められておりました。

ところが今現在、パリでは“フランス版東急ハンズ”の「 ベー アッシュ ヴェー ( Le BHV ) 」さんや……………

“フランス映画で御馴染み”の「 ギャラリー ラファイエット ( Galeries Lafayette ) 」さんや……………

かつてジャパンでも“銀座その他に存在”した「 プランタン ( Au Printemps ) 」さんや……………

私が在籍した“某ヘアサロン本店”向かいの「 ボン マルシェ ( Au Bon Marche ) 」さんも……………

“日曜日、絶賛営業中”でありまして、まるでジャパンのデパート並み“おもてなしサービス提供中”なので御座います。

 

因みに、奥様のブリジットさんは24歳年上。しかも昨今流行り(?)の“略奪愛〜離婚〜再婚”であり、エマニュエル マクロンさんは39歳の若さにも拘わらず、義理のお孫さんが7人もいらっしゃるそーデス。我が国では政治家にとって大ダメージとなる“略奪愛〜離婚〜再婚”さえ、フランスではむしろ“愛に一途な情熱家”としてイメージアップに繋がり、予想外の女性票を数多く獲得したのには驚きました。

考えてみれば歴代フランス大統領さんは、“隠し子問題”や“愛人問題”が発覚する度に、何故か女性からの支持率が上昇したという事実があります。

 

✳️ つまり“愛”さえ満ちていれば、何もかもが許されてしまうという「 ラテン民族 」特有の美学……………

今度生まれ変わるならば、是非とも「 ラテン民族 」に生まれたいと願う変態オッサンでありました!

 

『 パリ市庁舎前のキス / 撮影 ロベール ドアノー ( Robert Doisneau ) 1950 』

『 日曜日の恋人たち / 監督 ディディエ ル ぺシェール ( Didier Le Pecheur ) 1998 』

 

( 写真は全てネットから拝借。)

フランス人とフランス語とフランス車 ……

1985年春のお話で御座います。

若干23歳だった好青年(現変態オッサン)が、溢れんばかりの夢と希望とヤル気を抱えて、花の都パリに渡ったのであります。1年半程ヘア アシスタントとして修行しながらも、時折は自らもヘア ドレッサーとしてお仕事をさせて頂きました。当時“モード界の頂点”に君臨なさっていたデザイナーの高田 賢三さんにお世話になったり、著名な女性ファッション フォトグラファーのサッシャ(Sacha)さんにお世話になったりと、一生涯忘れられない誠に貴重な経験をさせて頂いたので、故にパリ(フランス)は“私の人生に於ける先生”と言っても大袈裟ではなく、正に“世界で唯一の特別な街”になったので御座います。

80年代のフランスには、正直なところ“それなりの人種差別”が確実に存在致しました。例えばクリーニング店、肉屋、郵便局etc.で私が列に並んでいても、私より後ろの白人さんが先に呼ばれたり、プライベートでフランス系のエアラインを利用すると、食事の際に私には「肉と魚どちらに致しますか?」と尋ねてくれなかったりといった具合であります……………

しかしながら60年代、70年代に渡仏されたジャパニーズの先輩方は、おそらく更に何倍もの御苦労に耐えて、そして“パリのジャパニーズ”として、現地にしっかりと根付いたパリ ライフを満喫していらっしゃいました。そもそも人種、宗教、文化の異なる人間が同じ国で暮らすからには、世界観の相違による衝突は当然でありますし、それらを総括して“異国アナザー ライフの醍醐味”ではないかと考えます。

但し、私が仕事、プライベートを通して痛感致しました「 フランス人(正確には“パリのフランス人”)3大特徴 」は以下の通りで御座います。

✳️ 1 ) 決して己の非を認めない。

✳️ 2 ) 決して他人の主張に耳を傾けない。

✳️ 3 ) 決して自分の手は汚さずに他人を貶める。

どんなお国(街)であっても、“実際に住んでみなければ判らない良い点並びに悪い点”は必ずありますが、私にとって上記の3点は誠に耐え難い苦痛として全身を蝕み、やがてパリは“私の人生に於ける先生”であると同時に、“2度と住みたくない街世界一”というダブル タイトル ホルダーとなってしまいました……………

 

因みに、私が今現在“ヨーロッパで最も気に入らないオバサン”が、そんなパリで今話題になっていらっしゃいます。ソノお方はフランス政党「 国民戦線 」党首であるマリーヌ ル ペンさん(48歳)で御座います(以下引用)。

 

【 フランス大統領選「ルペンの乱」起きるか、リスクに備える仏銀行 】(Newsweek)

フランスの銀行は、4月の同国大統領選で極右政党・国民戦線(FN)のルペン党首が予想以上に善戦し、信用収縮や取り付け騒ぎなどの波乱に見舞われるリスクを想定した準備を迫られている。ルペン氏は、自分が勝利すればユーロ離脱(フレグジット=Frexit)を問う国民投票を実施し、中央銀行の紙幣増刷により財政支出を賄い、商業銀行に小規模企業への貸し出しを義務付け、銀行が顧客に課す手数料を半分に削ると約束している。

世論調査によると、4月23日の第1回投票ではルペン氏が得票率25─30%で第1位となるが、5月7日の決選投票では中道系独立候補のマクロン前経財相が勝利する見通しだ。(2017年4月5日)

 

取り越し苦労で済む事をお祈り致しますが、「 イギリスのEU離脱 」「 アメリカのドナルド トランプ大統領誕生 」という歴史的番狂わせを考えますと、コノお方が次期フランス大統領に御就任される可能性大かと思われます!

私が危惧しておりますのは右派、左派云々ではなく、ドナルド トランプさんやマリーヌ ル ペンさんの様な、謂わば“激情的ナショナル リーダー オールスターズ”による国際政治のシナリオであります。チョット考えただけでもヒジョーに疲れます。どちらかと云えば“コンサバ冷静路線”のフランス銀行でさえ、どーやら今回は私と同様の御心配をされている事からも、ソノ重大性が御理解頂けるかと……………

 

ところで、パリ時代の私にはギリシャ系フランス人の“大師匠”とジャパニーズの“師匠”がおりましたが、1986年秋に帰国するに当たり、御二人から「1年半住んでみて、君にとってパリは如何なものだったかね?」と尋ねられました。

私は「パリ モードは大好きですが、フランス人とフランス語とフランス車は嫌いデス。」とお答えしたのを、何故か今でもハッキリと覚えております……………

 

 

( 写真は全てネットから拝借。)