“機械式道具”としての魅力……

80年代初頭、東京でヘアメイクとして御一緒させて頂いた著名写真家の方々は、繰上和美先生を始めとして殆どが「 Canon F-1 」を使用しておりました(最近の繰上和美先生はLEICAを御愛用との事)。ところが渡仏してみると、パリの著名写真家は35mmカメラに関して“100%Nikonユーザー(主にF、F2を使用)”である点に驚きました。

今にして思えば……………

当時の日本はファッション雑誌と“ファッション(アート)系広告写真”の全盛期であり、優しい色調のカラー写真ニーズに「 Canon New FD レンズ 」が最適だったのだと思います。対してヨーロッパでは、60〜70年代にNikonが“世界一頑丈なカメラ”とか“カメラのPORSCHE”と呼ばれて圧倒的評価を確立、報道やファッションetc.ジャンルを問わずに“Nikon神話”が浸透しておりました。しかしながら、複数の著名写真家に「Canonをどー思う?」と訊くと「膨大なレンズ資産があるのでメーカーを変更するつもりは毛頭無いが、F-1は良いカメラだしデザインもスタイリッシュ。機会があれば使ってみたいと思うし、今後デビューする若いファッションフォトグラファーはCanonに移行するかも知れないね。」と仰っておりました。

実際に「 Canon F-1 」は、まるで金属から削り出した様な質感と屈強さ、ピアノ光沢の硬質塗装も素晴らしく、もしロバート キャパ先生がもっと長生きしていれば、ひょっとして「 Canon F-1 」を使っていたのでは?とさえ感じます。

約6年前に他界した父親の遺品「 Canon F-1 」(76年マイナーチェンジ後の後期型)。シャッタースピード、ISO(ASA)感度云々というスペック詳細は、こんな変態オッサンのブログではなく“カメラ系有名ブロガーさん”の記事を読んで頂くとして……………

メイン機として使っている「 SONY α7II 」と同時に「 Canon F-1 」も使ってみたい気分になり、札幌の“某有名カメラ店”にオーバーホールを依頼したら、ケッコーな料金を取られた上に大部分が“修理不能”のまま戻って来てしまいました(修理を担当したのは別業者)。そこで“日本を代表するオールドカメラ修理の匠”吉崎義明さん(青森)に御願いして数週間、先日“甦った「 Canon F-1 」”が無事帰還致しました。

吉崎義明さんが凄いのはそのポリシーであります。オールドカメラは既に部品生産が終了しており、通常は同型機の所謂“ジャンク品”から部品を移植するのがポピュラーな修理方法。ところが吉崎義明さんは「1個直すのに1個壊したのでは意味がない。」と、自ら旋盤機で部品を自作してしまいます。

( 修理工程説明用として同封された写真の数々。中央写真が“吉崎義明さん自作”による今回のキーパーツ。)

正確に云えば「 Canon F-1 」は作動に電力(電池)を必要としますが、ソレは“内蔵露出計”を作動させる為であり、私の様なド素人ではなく“体内露出計”をお持ちのベテランにとっては“100%機械式カメラ”として使用可能。つまり毎年価値が下がり続けるデジタル一眼レフと違い、機械式腕時計同様に“機械としての価値”は普遍であり、吉崎義明さんの様な“ハイパー主治医”さえ見つかれば価値は一生下がりません……………

( やはりフィルムカメラには“モノクロフィルム”。ISO100の「 FUJI ACROS 100II 」とISO400の「 AGFA APX 」を用意。但しAGFAは地元の写真屋さんで現像不可能との噂。)

他界した父親は「 Canon Auto Boy 」も所有していたので、普段はもっぱらそちらを使用していたと思われます。よって父親の代わりに「 Canon F-1 」を大事に使ってやろーかと思います!

❇️ 生前の母親曰く(確か81年頃)。

「パパが“Nikon F2”買って来ると張り切って出掛けたけど、買って来たカメラには“Canon F-1”って書いてあるのよねぇ。コレって同じカメラなのかしら?」……………

( 写真は自身のInstagram、その他devilota撮影による。)