天皇陛下の退位(本来ならば“譲位”と表現すべき)に伴う新元号「 令和 ( Reiwa ) 」が発表されました。
当ブログ運営中に“元号が変わる機会”は滅多に御座いませんので、本日は“「 平成 」30年間”を私なりに振り返ってみたいと思います……………
思い起こせば「 平成 」がスタートした1989年は、私が結婚した年でありました。( 因みに、結婚式を予約した某ホテルから事前に「万が一、結婚式直前に天皇陛下(昭和天皇)が崩御された場合は、お式の演出etc.に関して若干変更させて頂くかも知れません。」的な内容を、担当者の方から伝えられたのを覚えております。)
「 平成 」という元号は、“平和で優しさに満ちた時代”をイメージさせますが、今振り返ってみれば“個人的”にも、そして“国内的”にも、誠に残念ながら“災いに満ちた苦難の時代”だった様に感じます……………
❇️ ー 1995年 ( 平成7年 )「 阪神、淡路大震災 」発生 ー
大阪電通さんのお仕事が進行中でありました私は、打ち合わせ等で頻繁に大阪、神戸を訪れておりました。「 阪神、淡路大震災 」発生当日、大阪電通さんから「本日、予定通りPPM(最終段階の打ち合わせ)を行いますが、御存知の様に新幹線は使えませんので、飛行機でいらっしゃって下さい。」との連絡がありました。
大阪入りして、待ち合わせ場所だったホテル ラウンジに到着すると、天井は常に余震で揺れており、現れたプロデューサーさんが「実は未だ当社スタッフや、クライアントさんの安否確認が出来ない状態であります。誠に申し訳御座いませんが、本日のところは、このまま東京にお帰り頂けませんか?」との事……………
ホテル ラウンジのディスプレイに表示される“地震による犠牲者数”を見て、“現実とは信じ難い大惨事”の中、ただ呆然と立ち尽くすだけでありました。
❇️ ー 1996年 ( 平成8年 ) 「 NY エージェント廻り 」 ー
複数のエージェントさんから所属を打診されましたが、条件であった“当面の生活費として5万ドルを準備する”が果たせず、ニューヨークでの活動を断念。
❇️ ー 1997年 ( 平成9年 )「 離婚 」ー
❇️ ー 1998年 ( 平成10年 ) 「 破産 」ー
❇️ ー 1999年 ( 平成11年 ) 「 ヘアメイク廃業 」ー
❇️ ー 2009年 ( 平成21年 ) 「 母親他界 」ー
❇️ ー 2011年 ( 平成23年 ) 「 東日本大震災 」発生ー
“ヘアメイク破産廃業”後、アルバイトで生計を立てていた私は「 東日本大震災 」発生当日、大井埠頭の作業現場から品川駅迄、バスで“約2時間(通常は約20分)”掛かって到着した後、“約3時間”も歩いて桜新町のアパートに帰宅致しました。道中、様々な店舗のウインドーに“トイレ貸します”や、“道案内出来ます”との張り紙がありました。
道玄坂では“水商売らしきお姉さん達”が、「簡易トイレをお配りしています。数に限りが御座いますので、女性の方優先で御願い致します。」と声を限りに叫んでおり、三軒茶屋では“予約が取れない人気レストランの店員さん”が、「無料のコーヒーは如何ですか?先は長いのでココらで一息入れませんか?」とコーヒーを勧めてくれました……………
“東京って捨てたもんじゃない”と再確認した日。
❇️ ー 2013年 ( 平成25年 ) 「 父親介護 」開始 ー
❇️ ー 2014年 ( 平成26年 ) 「 父親他界 」ー
❇️ ー 2018年 ( 平成30年 ) 「 北海道胆振東部地震 」発生 ー
人生初の“41時間連続停電”を経験。
❇️ ところで……………
おそらく現在“独自の元号”を採用している国は、世界中でも我が国だけかと思われますが、21世紀の今日に於いては、西暦に統一した方が“あらゆる意味で合理的”なのは間違いありません。
政府関係者の方曰く「元号は天皇陛下の“おくり名”にもなるので不可欠な存在である。」との御見解でありますが、ソレならば天皇陛下が崩御された後、又は退位(譲位)された後の“お呼び名”として使用するべきだと考えます。
❇️ しかしながら……………
せめて「 令和 」という新時代が、“幸多く、災いが少ない時代”であります事を、心から願う変態オッサンでありました!
( 画像1〜5、7は自身のInstagramより。画像6はネットから拝借。)